2015-01-27

とある蕎麦屋の、白打ち黒打ち

小ぢんまりとしたその蕎麦屋の清潔な店内には、
ぽつんと掲げてあるメニュー以外には、
装飾は何も無い。

そのメニューには、
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白打ちせいろ・・・・・・800円
黒打ちせいろ・・・・・・800円
蕎麦味噌・・・・・・・・500円
お酒(一合)・・・・・・600円
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とだけ書いてある。
麦酒は、無い。

小松方正にそっくりな大将と、
若い頃の原田美枝子にそっくりなおかみさん、
二人だけで切り盛りしている店だ。

四人がけのテーブルが二つ。
小上がりには、
掘りごたつ形式の長テーブルが一つ。
詰めても八人、といったところだろうか。

月に二度ほど通っているのだが、
最初はおかみさんに会いたくて通い始めた。
何を隠そう、自分は原田美枝子が大好きなのだ。

しかし今では、大将の打つ、
白と黒に、すっかりはまっている。

まず、蕎麦味噌とお酒でちびちび始める。
ここのお酒は蛸唐草の徳利に、
キッチリ一合入っている。

今時のスカした店のように、
六勺だか七勺しか入ってないくせに、
「一合」などと、嘘の表記をしたりはしない。

そして、メニューには「お酒」としか書いてないが、
中身は、東北泉の「ちょっとおまち」だ。

冷やで良し、ぬる燗で良し。
派手すぎず、心地よい丸みが蕎麦味噌とよく合う。
勿論、ここの蕎麦にも相性バッチリ。
お薦めはやはり、ぬる燗。
真夏でもぬる燗がいい。

チビチビとお酒、味噌、お酒・・・と
おかみさんを眺めながら一合を空ける頃、
白打ちと黒打ち、
それぞれ茹でる前の蕎麦がやってくる。

何度も同じ流れの繰り返しで楽しんでいるので、
おかみさんは、タイミングをつかみきっている。

上品な塗りの皿に載せられた白打ちと黒打ちは、
その名の通り、真っ白な細麺と真っ黒な細麺だ。
まぁ、蕎麦なので細麺なのは当たり前なのだが。

つやつやとしたその出で立ちは、
ともに喉越しの心地よさを、早くも期待させてくれる。

「よろしいでしょうか?」
「はい・・・お願いします」

毎度々々、両方を楽しんでいるのだが、
どちらから口に運ぼうか、悩ましい。

そんな思いを巡らせている間に、
お酒のお代わりと共に、
スッと蕎麦が茹で上がってくる。

茹で上がった白打ちは、
まるで最上級の更科蕎麦のように、
透けているのではないかと思える装いだが、
更科ではないらしい。
と言って、何なのかは絶対に教えてはくれない。

そして、黒打ちはというと、
あの茹でる前の真っ黒な出で立ちとは打って変わって、
ほんのりと淡く美しい灰鼠色に装いを変えている。
しかし、田舎ではないらしい。
これも何なのかは、絶対に教えてはくれない。

まぁ、そんなことはどうでも良く、
蕎麦の薫りと喉越しを存分に楽しめるのだから、
余計な事は考えない方がいい。

蕎麦つゆは、宗田節ベースなのか、
かなり濃厚で、ほんのちょっぴり蕎麦を浸すだけで、
十分に楽しめる。

最後にこのつゆに、ちょっぴりの山葵と、
やや多めの蕎麦湯を合わせて、
お酒をお代わりして締めるのがいつもの流れだ。

さて今日は、白から行こうか。
まずは、蕎麦つゆをつけずに。

一口運べば、官能的とすら言ってもいいほどの心地良さで、
舌の上を蕎麦が滑っていく。
喉越しはあくまでもなめらかで、
そこから鼻腔へ立ち返ってくる蕎麦の香りが
やさしく後頭部を刺激する。

そこで、お酒を一口。
月並みだが「生きてて良かった。」

もう、後は蕎麦つゆをつけ、
喉を刺激し、お酒を運び・・・の繰り返し。
官能的なひととき。

そして、黒。
同じく、まずは蕎麦つゆをつけずに。

一口運べば、今度は野性味あふれる官能が、
舌の上を刺激する。
喉越しは、一見なめらかなようにも思えるが、
蕎麦を胃に落とし込む際に、
一暴れして心地よい爪痕を喉に残していく。

この爪痕が、けっこう後を引くのだ。

やはり、ここでお酒を一口。
「うん。」

そんなこんなで、黒打ちも完食する頃合いを見計らって、
おかみさんが、蕎麦湯とお酒のお代わりを運んできて、
いつものように「ニッコリ」と目を合わせてくれる。
いつものように、ドギマギする瞬間だ。

そして、テーブルから離れる間際に、
ちょっぴりの山葵を置いていく。

ここの蕎麦には、山葵を合わせないのだが、
締めの蕎麦つゆにだけは、欠かせない。

ゆっくりと今夜の余韻を楽しみながら、
締めを終え、お会計をして外へ。

「次は、いつ来ようか・・・」

とりあえず、あそこへ行ってOBANでも呑みながら、
考えよう・・・










と、歩き出したところで、








携帯が震えだし・・・

目が覚めた。

2014-02-15

長野からソチへ:ヤロミール・ヤーガー 42歳の五輪を応援する!

今日(2月15日)は、
チェコの英雄ヤロミール・ヤーガーの誕生日である。

彼の名を強く意識したのは、長野五輪。
NHL選手の参加が認められたのはこの大会からで、
ウエイン“グレート・ワン”グレツキーなど、
スパースターたちが来日し、
NHLの魅力を大いに印象づけた大会だったと思う。

カナダ男子チームの日系NHLスター、
ポール・刈谷(当時ANA)が怪我で参加できなかったのは
残念な思い出ではあるが、
自分がNHLを観るようになったのも、
この大会に、大きな影響を受けたから、である。

その長野では、おおかたの予想を裏切る結果で、
チェコが金メダルを獲って幕を閉じた。
カナダは、なんと4位でメダル無し。

この大会で、チェコはヤーガーの活躍と、
ドミニク“ザ・ドミネーター”ハシェックの
守り(決勝ではロシアを完封)で勝ったといっても
過言ではないだろう。

というか、それしか印象にない。
・・・それもあって、ゴーリーというポジションに、
   凄い魅力を感じている

そのメンバーの中で、ヤーガーは未だ現役。
年齢による衰えの声も聞こえる中、
NHLにおいては昨季、スタンレーカップを再び獲るべく、
トレード期限すべり込みでボストンへ電撃移籍。

ファイナルでは敗れたものの、
相変わらずのパックキープ力は健在で、
「もしかしたら・・・ソチで代表入りするかも!」と期待させる
プレイだった。

アイスホッケーというスポーツにおいて、
42歳で五輪代表というのは彼以外、
自分は知らない。

※ちなみに、グレツキーは長野時に37歳
 ソチにおいて、ロシア女子代表のパシケビッチは41歳

そんなワケで、
チェコ代表にヤーガーが入ったニュースを知った瞬間、
ソチの男子アイスホッケーは、断固チェコ応援! と思った次第。

しかしなぁ・・・

決勝リーグまで勝ち上がらないと、
日本においては、ヤーガーの勇姿は観れない。

なぜなら予選リーグ、チェコは予選リーグC組。
アメリカやカナダが別組ということで、放映無し。
(本日時点で、予選リーグC組で1勝1負)

見方を変えれば、超強豪と別組なので、
決勝リーグへ上がれる確率が高い(かも)とも言える・・・かなぁ。
今のところ、既にスウェーデンに負けているので、
もう後が無いかもしれない。

頑張れ、ヤーガー!
ゆけゆけ、チェコ!


っと、長々とマニア話にお付き合いいただきまして、
ありがとうございます。


※ちなみに、女子アイスホッケーが正式種目になったのも、
 長野から。
 スノーボード・ハーフパイプも、
 長野から。

 今大会、自力で五輪出場を1番につかみ取ったのが、
 女子アイスホッケーで、
 今大会でのメダル1&2号がハーフパイプということを考えると、
 長野とソチには、並ならぬ関係がある、かも。

 これで、チェコ男子アイスホッケーが金を獲れば、
 その関係は、間違い無い!


 かな・・・

2013-04-29

人喰い鬼とジャックと豆の木


むかしむかし、ある国の天空に、
心やさしく、争いごとが嫌いな働き者の鬼が、
平和に暮らしていました。

毎日毎日、鬼は一生懸命働いて、
とっても愛する妻とともに、平和な日々を過ごしていましたが、
鬼の顔は人間にとって、とてもとても怖い顔に見えたので、
いつもいつも人間からは、
「人喰い鬼! 人喰い鬼!」と虐められていました。

鬼は、人間にそんなふうに虐められても、
心やさしく、争いごとが嫌いだったので、
おとなしく耐えていました。

ある日、鬼が仕事へ出かけている時に、
ジャック(仮名)という少年が、天空まで伸びる豆の木に登って、
鬼のお家へ不法侵入してきました。

鬼の妻は、ジャック(仮名)に気付くと、
「お願いだから夫を怖がらせないでください」と
パンとミルクとチーズを渡し、泣きながら頼みましたが、
ジャック(仮名)は鬼のお家を出て行くフリをして、
こっそり隠れてしまいました。

夕方になって、鬼が「ただいまぁ。あ~、今日も1日よく働いた!」
と帰ってきました。
「あなた、お帰りなさい! 今日もお疲れ様でした」
と鬼の妻がにっこりと迎え入れると、
鬼は「ん? なんだか人間の匂いがするなぁ。
人間がいるのかな?!」と、鼻をクンクンとさせました。

鬼の妻は、鬼を怖がらせまいと、
「きっと気のせいよ。今日は風が強かったから、
地上から人間の匂いが上がってきたんじゃないの?」と
やさしく話して、
安心させようと「今日はボーナスの日だから、
あなたの大好きなビールをたくさん冷やしておいたわよ」と
元気に、声をかけました。

そして、お風呂へ入って、ビールを呑んで、
愛妻の手料理を食べてお腹いっぱいになった鬼は、
ボーナスの金貨を数えながら、いつの間にかコックリコックリと、
テーブルについたまま、眠ってしまいました。

「しめしめ・・・」と、そこへジャック(仮名)は、
物影から出てくると、
パンとミルクとチーズをもらったことなど、
まるで無かったかのように、
鬼の大切な大切な金貨を盗んでいってしまいました。

しばらくの間、ジャック(仮名)は、
鬼のお家から盗ってきた金貨で、面白おかしく暮らしていましたが、
悪銭身につかず、の通り、
あっという間に一文無しになってしまいました。

そこでジャック(仮名)は、またしても天空へ上って行き、
鬼のお家へ不法侵入をしました。

すると、今度は鬼の家に雌鳥がいるのを見つけました。
雌鳥に、鬼が「生め」と言うと、なんと金の卵を生みました。

「あぁ、また一生懸命働いたから、特別ボーナスということで、
雌鳥をもらってきたが、本当に金の卵を産んだぞ~!」と鬼は、
たいそう喜んでいました。

ですが、またしても鬼は、仕事の疲れがでて、
テーブルについたまま、眠ってしまいました。

「しめしめ・・・」ジャック(仮名)は、
今度は、金の卵を産む雌鳥を鬼から盗ってしまいました。

ジャック(仮名)は、地上へ帰ると、
鬼のお家から盗ってきた金の卵を産む雌鳥を酷使して、
面白おかしく暮らしていましたが、
結局、雌鳥を食べてしまい、
またまた、あっという間に一文無しになってしまいました。

そしてジャック(仮名)は、またまたまたしても天空へ上って行き、
鬼のお家へ不法侵入をしました。

すると、今度は鬼の家に金のハープがあるのを見つけました。
鬼が「歌ってください」と頼むと、
それはそれは美しい声を奏でるではありませんか。

そして、それを聴きながら、
「一生懸命働くと、いいことがあるなぁ。
これからも真面目に働こう・・・ムニャムニャ」と、
またしても鬼は、仕事の疲れがでて、
テーブルについたまま、眠ってしまいました。

「しめしめ・・・」ジャック(仮名)は、
今度は、金のハープを鬼から盗ってしまいました。

しかし・・・
悪いことは続けられないものです。

ジャック(仮名)は、こんどはつまずいてしまい、
ハープを落としてしまい、大きな音をたててしまいました。

それに気付いた鬼は、
「あ~っ! 何をするんだよぉ」と叫びました。

いくら心やさしく、争いごとが嫌いだとは言え、
さすがに三度目ということもあり、
鬼は「こら~!」「もしかして、金貨も雌鳥もあなたですかぁ?!」
と叫びながらジャック(仮名)を追いかけました。

ジャック(仮名)は、豆の木まで猛ダッシュで向かって行き、
スルスルと地上を目指して降りていきました。

鬼は、身体が大きいので、
なかなか思うように豆の木を降りていけません。

ジャック(仮名)は、いち早く地上に降りると斧をとりだし、
「えい!」と豆の木の根元に振り下ろしました。

「うわぁ、やめてくれぇ! やめてください~!」と
鬼は懇願しましたが、
ジャック(仮名)はとうとう豆の木を切ってしまいました。

すると、ドドドドドドドド~!
と、豆の木は鬼ごと地上に崩れ落ちてきて、
鬼は、豆の木に押しつぶされて死んでしまいました。

結局ジャック(仮名)は、
心やさしく、争いごとが嫌いを殺したおかげで、
“人喰い鬼を退治した英雄”という勘違いもはなはだしい評価を受け、
手記を発表し、それが映画化され、映像ソフト化され、
印税をたくさん手に入れ、
講演で全世界を周り、もてはやされ、
結局、面白おかしく暮らしつづけ、楽勝な老後を過ごし、
100歳で大往生するまでヒーローとして生き続けました。

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問い1:人を見た目で判断するのは、良いことでしょうか。

問い2:人のものを盗るのは良いことでしょうか。

問い3:心やさしく、争いごとが嫌いなのは悪いことでしょうか。

問い4:一生懸命働くことは悪いことでしょうか。

問い6:この物語で、一番の悪者は誰でしょうか。


2013-02-13

血の気が引いた! 〜聴かずに死ねるか!《第十九話》〜




今回は、スペシャル。
“志の輔らくご in PARCO 2013”です!

毎年々々、チケットとれず、
今年もダメかなと思っていた“志の輔らくご in PARCO”。
ところが、千秋楽に、あるお方のお世話になるカタチで、
念願がかなった。

“親の顔”(作:志の輔)
“質屋暦”(作:志の輔 最新作)
〜仲入り〜
“百年目”(古典)

念願叶った贔屓目もあるとは思うが、凄かった。

なんと言っても、たった一人で約3時間!
仲入りがあるもとは言え、
そのパワーには正直、まいりました・・・

今回の新作“質屋暦”は良くできた噺で、
展開も登場人物も、時代背景も、下げも、好きな噺となった。
マクラは、ちょいと説明も含まれていたので長めだったが、
興味深い内容だったので、グイっと引き込まれてしまった。

これは、別の高座で、是非また聴きたい。

・・・で、

圧巻は、“百年目”。
好きな噺ではあるが、およそ70分ぐらいの長尺は初めて。
しかも、マクラ無し。

まず、これだけの高座を演るのに、
客を惹きつけっぱなしにできる噺家さんは、
なかなかいないだろう。

ご一緒させていただいた方もおっしゃってたが、
「なんだか前半は“百年目”のためのマクラだったように感じた。
恐ろしいモノを観ちゃったなぁ」と。

同感。

実際、「ここで会ったが百年目」と、
師匠が頭を下げた瞬間、
ス〜っと、血の気が引いていく感じがして、
「やばい、立てないかも!」となってしまった。

小僧さんたちの、いかにもやんちゃな感じや、
番頭さんの二面性や、
太鼓持ちの調子の良さや、
芸者衆の賑やかさや、
春の大川の花見の情景や、
・・・この噺は様々な演じ分けが要求されるのだが・・・
流石師匠! って、まぁ言うのは簡単だけどね。

ホント、頭の中には、自然と映像が湧き出てくるんだけど・・・

実は、旦那様の語りが凄かった。
こんな“百年目”は初めて。

勿論、演じ分けだって超ハイレベルなんだが、
そこってもしかして、旦那様の語りのためのプレリュードだったの?
っつーぐらいに感じてしまった。

まぁ、その語りの仕草がどうだったこうだったと、
ここで書いてしまっては野暮だと思うのだが、
ちょっとだけ・・・

声のトーンは、かなり抑えめ。
アクションも抑えめなのだが、
お茶を入れるシーンの描写は、素晴らしいアクセントになっていて、
何度でも観たくなる。

この噺を知っている方には、乱暴な言い方かもしれないが、
「旦那様の語り部分だけでも、何度でも観たくなった」
と、伝えておきたい。


・・・・・・・・・

で、結局は、カーテンコールがあり、
お囃子の師匠方の紹介と、三本締めがあったので、
血の気が引いたのも若干おさまって、
席を立つことができた。





「・・・」
今回、野暮は無し。

2012-09-22

NFLのイメージマジック


NFLのオフィシャルフィルムメーカー『NFL FILMS』の
スティーブ・サボウル氏が、9月18日に亡くなった。
氏のNFLのイメージ作りへの貢献度は、計り知れないモノがある。

かの河口正史氏もコメントしていたが・・・

TV中継などで見るNFL映像は
“ゲーム”に焦点があてられている(あたりまえの話だが)。
しかし、NFL FILMSが捉える映像には、
ゲーム自体とは全く関係ないものが多々あり、
それらが素晴らしい、と。

ロングパスのシーンでは、
見事なジャイロ回転で飛んでいくボールのアップだけを
ひたすら追いかける事で、そこにあるドラマを表現する。

極寒の中のゲームのタフさを
凍り付くほど白くなっているプレイヤーの吐く息を
逆光のアップで、そしてスローで捉える事で表現する。
勿論、そのプレイヤーが誰だかはわからない。

また、
豪雪の中を走るプレイヤーの足元だけをドラマチックに
切り取ることで表現する。
これも勿論、そのプレイヤーが誰だかはわからない。

などなど・・・

全てがドラマに溢れている(陳腐な表現だが、
他に言葉が見つからない)。

そしてそこには、見るものを
「NFLって、迫力があって格好良い!」と思わせるオーラがある。

今では見かける手法かもしれないが、
スティーブ・サボウル氏はその先駆者と言ってもいいかもしれない。
スポーツに関して言えば、
そのマインドは『Number誌』にも受け継がれている。
と、勝手に思ってはいる。

前出の河口氏は、高校生の時にその映像を見て、
フットボールプレイヤーを目指したらしい。

フットボールというスポーツの、
ゲームそのものとは別の所に潜むイメージを抽出する事によって、
NFLのファンをさらに獲得し、
さらに、河口氏のように「プレイヤーになりたい」とも思わせる力が
NFL FILMSの映像にはあるということ。

自分も勿論、その映像がファンになった要素の一つになっている。

今となっては、こういった手法は広く知られ、使われているが、
「ホンモノは違うなぁ」とNFL FILMSの映像を見て、改めて思った。

こういったファン獲得の手法って、
○○○の何を”“誰に”“どのように伝えるのか、
ということだよなぁと考えれば、
NFLに限らず、いろいろなところで通じる話だと、改めて思う。

そして・・・

スティーブ・サボウル氏は、ホントにNFLを愛していたんだなぁ、
と思った。

作り手が、それを好きであればある程、
観る者に響くモノが、そこには紡ぎ出される、と。



余談:“フィルムで撮る”ということに、かなり執着していたようで、
   極寒の中の撮影時にはフィルムが凍り付かないように、
   キャメラの側で、ガンガンにお湯を沸かしたり、
   と冬のスポーツならではの苦労がかなりあったようだ。
   個人的には、機材がかなり進化した昨今、
   デジタルでもいいんじゃないの、と思う。
   結局は、機材が撮るのではなく、人間が撮るのだから。