2009-07-02

何故、大阪だったのか・・・

今更ですが・・・
すっごく久しぶりに“ブラック・レイン”を見た。
自分でも驚いたが、2回目。
“ブレード・ランナー”は100回以上も見てるのに・・・

たぶん、リドリー・スコットの中では、
アキバ(敢て東京とは言わない)よりも大阪の方が、
2019年のロスに近い印象を受けたのかもしれない。

彼は大阪に、より湿度を感じたのか・・・
それとも《グリコ》の電飾に《コルフ月品》の夢を見たのか・・・
それとも東大阪と思しき工業地帯に《ノストロモ号》の夢を見たのか・・・

そして・・・
高倉健もマイケル・ダグラスも
やはり、〈うどん〉を食うのである。

エンディングでは、蕎麦のようにも見えたが、
市場内では明らかに〈うどん〉。
マイケル・ダグラスよりはハリソン・フォードの方が、
箸使いは上手いな、と思いつつ・・・

でも、湿度やうどんよりも、
陰影と煙にリドリー・スコットを感じてしまった。
もう数え上げたらキリが無いほど、
リドリー・スコット流“光と影”の演出が出てくる。
煙も然り。
印象的なのは〈サトー〉がエンコ詰めるシーンの直前、
親分たちが煙草をふかし、そして消す時に立ち上がる煙の効果!
(レイチェルの煙草の煙よりは抑えめではあるが・・・)

で、身びいきかもしれないが、
マイケル・ダグラスよりは高倉健に存在感を感じてしまうのは、
自分だけだろうか。
後半にも出てはくるが、ほぼプロローグと言ってもいい頃合いに出てくる
内田裕也の存在感に一瞬、巻き戻したのは自分だけではないはず。

若山富三郎など脇を固めるジャパニーズアクターを
いちいち挙げていたらキリはないが、
リドリー・スコットが松田優作のためにエンディングを変えたのは、
周知の事実。
うーん、なるほど・・・

にしても・・・
なんで、ケイト・キャプショー?

この謎が解明されるまで、
あと何回“ブラック・レイン”を見る事になるのだろうか・・・

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