“竹の水仙”
ご存知、左甚五郎のお噺。
実は、数年前に桂歌丸師匠の高座でも体験してます。
その際には、淡々と話が進む中にも
左甚五郎という人の凄さを感じさせられ、
歌丸師匠の芸に感心させられました。
勿論、歌丸師匠の“ねずみ”も同様でした。
が・・・
喬太郎版“竹の水仙”は違〜〜〜うんです。
どちらかというと、小心者の宿屋の亭主にスポットが当たってます。
一文無しに宿泊されて、大酒呑まれてしまって右往左往。
おカミサンにどやされて、困り果てて涙々。
なんだかわけの分からない細工物を渡されて、饅頭かぁと意気消沈。
お屋敷に呼ばれて、お咎めを受けるんじゃないかと戦々恐々。
だんだんと亭主に感情移入してしまいます。
一つの噺として考えた場合、
演出によってストーリーが大きく変わる事はなくても、
噺の柱が変わる事による新しさや驚きは新鮮です。
でもって、喬太郎版は大爆笑の連続。
こんな左甚五郎噺は初めてでした。
喬太郎演出に、完敗です。
演者独自の世界観をキチンと表現できる噺家さんの高座は、
やはりいいもんです。
今度は喬太郎版“火焔太鼓”を
聴いてみたくなりました(流れとしてはベタですが・・・)。
ふと・・・
芸風は同じではないものの、
今は亡き、枝雀師匠を思い出させる場面もありました・・・
「呑み代、あと二百両ふっかけても良かったな」
いやいや、こちとらしがない庶民ですから・・・
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